2014年07月12日

ミリオンダラーベイビー

B000ac8ov009 アカデミー賞
作品賞・監督賞・主演女優賞・助演男優賞の4部門受賞作。


だからと言う訳じゃないけれど
ずっと観たい作品だった。



しかし

観たい作品ながら


観るのに覚悟のいる映画だった。

なんだか予感がして
観たいのに
なかなか向かい合えない
そんな映画だった。



ミリオンダラーベイビー。



そして
思った通り
私は息を詰めた。




 

究極の女性性が「母性」というものであるならば
究極の男性性は「父性」だろう。



では「父性」とは何か。



ねえ、「父性」って何????



今じゃDNA鑑定なんてもんが
あるけれどさ。
そもそも男は
「貴方の子よ」と言われれば
そうかと頷くしかない。



そしてせっせと
父親に「なっていく」。



母性が初めから
組み込まれたものであると
言われるのに対し


(従って裏を返せば
粘着性の悪臭を放つ事もある。
最近じゃ
そんな遺伝子組み込まれていないっていう
女以前の女の事件も多いけど。)



そう。
父性は
「育てる」ものだ。



その育てる
育てられる父性の根底にあるのが
「ロマンチシズム」というもので



(それがなければ
男の人の「育てる」動機と
「育ちたい」という行動原理は
初手から破壊されてしまうのだと
私は思う。



だからこそ
殊更に
「少年のような男」だとかいう
男自身の自己申告が
陳腐に響いたりするのだね。)



私はずーーーーーっと
この「父性」という物が
不思議で
そして
欲しくて
欲しくてさー。



無論



言うまでもなく
父性も
母性も
性差によって「だけ」育まれるのものではない。



 

父性・・・
それが如実に現わされる行為



それは



「守ること」だと
ずっと私は思ってきた。



・・・



それは誰を???




 

それは何から????



何の為に????





 

その答えを探るのは
探っているのは
私だけじゃない。
傲慢な言い方かもしれないけれど
確かにそうなんだ。



そうして
ハリウッドの雄
イーストウッドが
彼なりのその答えを
結論を
描いたのが
この映画のように
私には思えた。



Millionヒロイン



ヒラリー・スワンク名演。
その張った小鼻や筋肉すら
ホワイトトラッシュの出口のない
生活を伝えてくる。)は


クリント・イーストウッド演じる
フランキーと出会う。



ボクシングトレーナーである彼にとって
彼女は
当初全くの
「他人」であり
「興味のない」「厄介」な存在でしかないが



次第に



「娘」であり
「恋人」であり
「同志」であり
「戦友」であり
「勲章」であり
「希望」であり



「女」であるように変る。



そして最終的に彼女は既に彼の「片割れ」である。



その喜び。



その痛ましさ。



フランキーが彼女を守ろうと
苦悩するシーンは
多くの場所で言われているように
明らかに彼は「神の子」キリストとだぶる。



Million2なぜならキリストもまた
「守りたい」と
血の涙を流した人であるから。






「守りたい」



それは誰を????



何から????






そして



何の為に????






その最終決断を
苦悩する彼の姿を見つめ
見守り
見送ったモーガン・フリーマンの存在は
その伝で言えば
ある意味「神」そのものであり「女」だった
と言っていいのかもしれない。



そう。



神は
手を下さず
ただ
全てを
見つめるだけだ。



母性のように
完全に。
しかし
「片方」しか見えぬその目
で。Mogan








 

本当の救いって???



本当の結合って????



人は人でしか
救われないと
私はずっと思ってきた。



けれどそれは
決して
「誰でもいい」っていう話じゃあない。



救いの手の暖かさは
「その人」だからこそ意味を持つんじゃん。



あの時も
そしてこの時も。



何故か
愛を語る時
「必然」とか
「運命」とか口にする人間は多いけれど



状況ではなく
本当の「必然」にするには
母性と父性の
せめぎあいが
葛藤があってしかるべきな事を
何故かこの頃では語られることが少ないように思う。



その壮絶な葛藤の中で
「出来事」から
「真実」に変えていくことの
苦しみ。



そして高揚。



何も投げ出さず
何も失わず



安全な所で
愛だの
恋だの



その陳腐さを乗り越えて
ある意味
どこまでもドラマチックなこのストーリーを
多面性を持った寓話として成立させたのは



クリント・イーストウッドの
火の客観性ゆえだろう。



そう。






私が憧れて憧れて
憧れてやまぬ



「父性」がここにある。

フランキーの中に確かにある。



ここにありはするけれども
それは
なんて・・・・。





心を
脳みそを
想いを
シャッフルされ続け
刺激され続け
こちらの息を容易にはつかせぬような
そんな映画だった。



この映画は
本物・・・だと思う。



母性も
父性も

「完全」な形はなく



結局は
「人間」を「守るため」の術。



そのことの証明の優れた寓話として。



人間は
何の為に「守られたい」のか
その哀しい証明の寓話として。



フランキーは
「救われるのか」



「結合」したのか???



今一度問おう。



「守りたい」



誰を???



何から????



そして



何の為に????



そう。





彼はまた

何に

何の為に

『守られたかった』のか。









必見。



posted by kazoo at 13:29| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画(ま) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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